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デザインの行方 2

2012年04月04日 18:52

デザインはいつも産業と共にあった
今は空気や水のようにデザインがある時代ですが、僕がデザインを志した時代はまだまだ特殊な商業でありアウトプットでした。ここで簡単にインダストリアルデザインと産業の歴史を振り返り、今後のデザイン活用を考えてみましょう。

黎明期、Occupied=占領化の日本
戦後日本は、欧米型産業モデルをお手本にして産業復興に着手しました。技術と意匠の模倣や低い品質の商品を称して、“日本製だから・・・”と揶揄される時代"Made in Occupied Japan"(占領下の日本・1950年 昭和25年まで)時代。見よう見まねで輸出品をつくり、懸命に生き残ろうとしていた時代です。嘗ての中国のようなものですね。
工芸家、図案家など“商業デザイナー”と、新しい職業である“工業デザイン”を学んでいた美大生などが、設計が終わった製品に、最中の皮をかぶせるが如く、工業意匠を施すことで、見栄えの良い輸出商品を生み出す先導役を果たしました。

聡明期のデザイン=設計が終わった製品に見栄えの良い意匠を施した

工芸にくっ付いていたデザイン
教育界でのインダストリアルデザインは、工芸と工業のはざまにあった時代です。デザインは今よりずっとアートに近い存在だったんですね。僕は日芸時代、先生たちから学生のうちからデザインで稼いでいた先輩がいたよ・・・と聞いた記憶があります。いい時代でしたね。

生長期、経営の神様がデザインを語る
かの有名な経営の神様、松下幸之助さんが、昭和26年(1951年)欧米の産業視察を終えて羽田に降り立った時、記者団の質問に対し、「これからはデザインの時代やで」と語ったことはあまりにも有名です。同年松下電器産業が意匠課設立、昭和28年東芝が意匠課設置。これに端を発しデザインと工業製品がセットになって欧米を席巻するのです。

大量の企業内デザイナーが日本型デザインをつくった
その成功を見ていた家電や自動車産業の経営者は、デザインの施された見栄えのいい商品が、海外で高い評価を得ることに気付き、大量にインハウスデザイナーを雇用しました。この時、コストパフォーマンスに優れた製品に、差別的意匠を施した商品を大量に生産する日本モデルが誕生したのです。

mc10k.jpg

世界シェアを高めていくモノづくりに沸き立つ時代の空気は、技術志向と相まってインダストリアルデザイナー志望者を生みだし、教育界はデザイナーの卵たちを大量に排出しました。僕もそのうちの一人で、鈴木自動車に入社したのが1970年(昭和45年)大阪万博の頃だったのですね。その時は疑いのない「坂の上の雲」がたなびいて、デザインの未来が洋々と広がっていた時代です。

Gマーク制度が1957年から始まる
通産省が音頭を取ってグッドデザイン選定事業を開始しました。このころは輸出振興時代で、デザイン活動の奨励と、オリジナリティーの高い(はっきり言うとモノマネではない商品)商品開発を主目的に振興する時代でした。懐かしい商品の写真をご覧ください。1960年代の高度成長期になると、三種の神器(電気釜、冷蔵庫、掃除機)など電化製品(懐かしい)が盛んにデザインされて時代です。三丁目の夕日時代ですね。

matsushita_1000.jpg

幸之助さんのデザイン宣言はいつまで生きる・・・
次回から言いたいことは、デザインと産業の歴史に刻まれた「呪縛」です。アメリカとソ連が冷戦の関係にあった頃、日本はひたすらモノづくりに精進することが許されていて、デザイナーが大量に企業に雇用され、世界でも珍しいインハウスデザイナー比率が多い特殊な国になりました。色と形のリニューアルに没頭して、新しいスタイリングを生み出すことがデザインそのものでした。

やがて、日本で勝つことがそのまま世界で勝つことにつながる異常な状況を迎えます。その成功がやがて「呪縛」となり、新たな時代のデザイン解釈に苦労する芽がこのころに出てきたのです。

つづく
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