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技術そのものが時代を切り開いた時代

2011年08月23日 11:57

今日は、燕三条地場産センター主催の商品開発指導へ向かうために、「Maxとき」の車中でこの原稿を書いています。

新幹線の示すものは
昨日は結果的に1時間遅れで山形入りとなりました。まあ、こんなことがあったとしても、新幹線が戦後日本の最大ヒット商品であることには変わりません。戦後の復興、そして高度成長の弾みにすべく、東京オリンピックの開催に合わせ、世界銀行の融資を受け開業できた「SHINKANSEN」。48世代的(団塊世代)に言えば、それは東京タワーに次ぐ快挙!でした。

それが今、世界に打って出るだけの商品力があるのか?否!

「新幹線」という高速移動システムの価値を、売り込み対象国に対して、説得できるかどうか?

「SHIKANSEN」が文字通り国際商品になりうるのか?

日本だけの地域商品で終わるのか?

これが日本のものづくりの考え方に、大きくな影響を与えるだろうと僕は考えています。

Travel for west JAPAN 2008
Phpto by 4563_pic

技術そのものが時代を切り開いていた
本田宗一郎さんの本はたくさん読みましたが、日曜日のあるTV番組を見て、あらためて感じたことがありました。番組の題材は、宗一郎さんが技術屋として指揮した仕事の顛末を通じて、創業者の理想をつなぐ組織、それを新技術で開花させて行く物語です。

h1300.jpg

この背景をご存知の方は多いと思います。技術屋さんとしての晩年、空冷方式にこだわった宗一郎さんの思想で開発したホンダ・1300が失敗します。個人的には大好きな車でした。

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オールアルミエンジン・ドライサンプ方式・F1マシン(RA302) からのフィードバックによるDDACなど見所は多いエンジンルーム

その後世界の技術は、環境対策というテーマに向かい大きく転舵します。例の排出ガスを規制した「マスキー法」です。世界中の自動車メーカーが「そんな数値はクリアできるはずがない」と言いながら、マフラーの触媒で一時をやりすごし、抜本的な解決策を講じるために懸命になる中、ホンダの「シビック」が世界で初めてその数値をクリアします。まさに日本そのものの創意工夫と技術の勝利でした。



日本全体が若々しい活力で漲っていた時代です。でも、僕はそのころ鈴木自動車で、環境対応4サイクルエンジン開発が、遅々として進まない状況に、デザイナーとして焦りを感じていたことを思い出します。一時エピックエンジンシステムという希薄燃焼の論理を発表して{スズキが一番のりか!?}と、話題になった時もありました。

宗一郎さんがスパナを置く時
そんなシビックの開発も決して順風満帆ではなく、社内でもっと根本的な問題が起こっていたようでした。ホンダでは、宗一郎さんが技術屋さんとして最後の奮闘をしていた時でした。若いエンジニアが主張する水冷方式を決して許さず、自ら陣頭に立ち空冷エンジンで環境適合車を開発していたさなかのエピソードです。女房役として付き添ってきた藤沢武雄さんの一言が決め手になりました。

「あなたは社長として残るのか、それとも技術屋として残るのか、それを決めるべきだ」

つづく
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