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閑談・クルマ話

2011年02月28日 08:00

僕がスズキをやめて入った会社がSP(セールスプロモーション)の企画会社。又そこを、ある事情・・・ウーン、高速道路でトラックにぶつけられて、3ヶ月入院。現場復帰したときには、会社の状況が変わっていて、自然に退職(爆笑)。こんなこともありました。それが31歳の初秋のことです。
さあ、それからもっと波乱万丈の、今に続くデザイナー人生劇場が始まります。が、その前に、飽きてきたでしょうから、ちょっと一休み、クルマの話をします。

シボレー210の思い出
フリートラインが僕のデザインー魂に火を点す要因でしたが、家にはその後、FLが交通事故で壊れたことをきっかけに、シボレーの210(ツーテン)53年製がやってきます。

1953 Chevrolet Bel Air 4-Door Sedan, Revised Illustration
Photo by aldenjewell

お洒落なボディーラインは、アメリカ黄金の50年代を代表する「ベルエアシリーズ」で有名です。これは完全戦後設計の車ですから断然カッコよくなったし、あらゆるメカに戦争の技術が投入され、東京都心部をアメリカ車で埋め尽くす時代の代表的車種でした。
国産車がブルルン、ブルルンと、あえぐように走るのに対して、シューっと、ハイブリッド車のように、エレガントな音で、でかいボディーを軽々走らせるんです。

1953 Chevrolet 210 2 Door Sedan with 54 Grill (Custom) '2XSL370' 4
Photo by jacksnell

狭い田舎の街中を歩く人を追い越すと、びっくりした顔で、「もっとエンジンの音を出して走れ!馬鹿!」なんて、妙なクレームがつけられたコトもありました(笑)。電気自動車が、ごみの収集車のようにピロンポロンと音を出して走らせよう!なんて、笑い話ではないことが過去にあったという事実です。
明治の時代には岡蒸気の前を「今から蒸気機関車が通るぞ!」って、大声でお触れを出す人が駆けて来るなんて、笑い話ではないのですね。

Automotive-lighting-Apollo-moving.jpg

外観の最たる特徴は、低くなったエンジン設計のおかげで、ぐっとボディーが低くワイドになり、フロントウインドウにセンターピラーがなくなったことです。初代クラウンを見るとよく分かりますね。初代には未だアポロウインカーなど付いていて、今はそれを自慢にしていますが、当時は時代遅れの代名詞でした。

国産車にメタリック塗装は未だ無い時代に、ブルーメタリックの神々しいボディー!なんと塗装修理のために、新潟から埼玉は与野のいすゞ自動車まで陸送。それも三国峠(現在の国道17号)に、大型乗用車が通過できる道幅がない!そのため、長岡から長野経由で迂回して与野に行くという始末。1ヶ月くらいのドッグ入りだったと思います。

運転免許はオマケ!?
1954 CHEVROLET 210
新潟ナンバーがついた貴重な写真

このクルマには運転できない父親に代わって、専属の運転手さんがいて、この方が又律儀この上ない方でした。重量2t規制のある田舎の土橋を渡るとき、

「社長申し訳ありませんが、一旦下りてください」

と、二コリともしないで巨漢の父親に言い、静々とクルマで土橋を渡り、渡った向こう側でドアを開いてきちんと待っている。いでたちはと言うとハンチングにホームスパンのニッカポッカです・・・。父親は、ボルサリーノを被り、大きな身体をダブルのスーツで包み、普段牛車しか渡らない春の小川にかかる土橋を、のんびりゆったり歩いて行く、僕はその後からチョコマカくっついて行く。今から50年前の日本はそんな時代でした。父親は確か運転免許証を持っていたはずでした。後から聞いたら、「車を買ったら付いてきた」と、にやり笑っていましたが、真偽のほどは今もって家族の誰一人知りません。

Borsalinos
Photo by christophandre

僕が今から8年ほど前に銀座のトラヤ帽子店で、フェルトのボルサリーノを買ったのは、そんな父親の後姿に憧れていたからだと、今、合点がいきました。

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